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がんの私を精神的に楽にしてくれたもの

私はがんになってはじめて死を身近に感じるようになった。

私が20代の頃に父を亡くしていたので、人はいずれ死ぬことは分かっていた。
それでも40代で死に直面するとは予想外、平均寿命が80才を超える現代、私は人生半ばだと思っていた。

ひとはどこから来て、何のために生まれて、どこへ行くのか。

既存の宗教・新興宗教どこにも答えは無く、ただ答えを探しながら過ごした。
そのなかで以前から放送していたオーラの泉を時々見るようになった。

今はいろんな状況で科学的に証明されていないものは放送されなくなっているが、私にとってそれはどうでも良かった。自分の心に響くかどうかだ。
毎回番組が自分の探しているもののヒントになるわけではなかったが、時々「あーこんなことかな」と思うことがあり、放送終了する頃には心が楽になっていた。

私の心を楽にしてくれたものはおそらくこの番組だけではなく、私を取り巻く自然・太陽の温かさ、風、鳥のさえずり、雨、草木の緑、いろんな音楽、そして家族。総合的なものだろう。

答えは見つからなかったし、今も見つかっていない。死ぬまで生きるそれがたどり着いたところだった。

がんだとわかるといろんな宗教の勧誘が来る。
その中には勧誘とわからないものもある。

TVで新興宗教の勧誘方法を紹介する番組をたまたま見ていた。
病院へ行き、がん患者の入院病棟へ見舞いを装って入り、患者の家族の後を付けて家を特定する。
それからその家に定期的に宗教のパンフレットを入れる。

心が疲れている家族はその宗教に通うようになる。

「ん?」これはどこかで?

私が外科外来に通院していたころ家にある新興宗教の小雑誌がポストに入るようになった。
始めは子育て世代のお母さん向け。
なかなか良いことが書いてある、参考になる。
その後同じシリーズのがん患者の体験談が載ったものがポストに入っていた。
これもなかなか良い出来で、ちょっと話を聞きに行こうかなと思うほど。

この番組を見て「私を病院からつけてきたのか」と思うと、気持ち悪いし、怒りもあった。

確証はありませんが、がん患者家族はくれぐれも気を付けてほしいものです。




ひとり精神腫瘍学

退院してから外科外来に通院していたが、体のことは相談できるが心のことは誰にも相談できなかった。

精神腫瘍科はなかったし、患者サロンもまだ無かった。

うつ症状を発症するようなことにはならなかったが、明らかに今までとは違う精神状態になっていた。

深淵をのぞいているようだった。

入院しているときは周りにたくさんの人がいて、看護師さんも親身になってくれる。
病気を治す目標がある。

家に帰ればひとりだ。
家族は居るが、ひとりで向き合わなければならなかった。
鏡で自分の顔をしばらく見る事が出来なかった。
鏡の自分と目が合ってしまうと、がんになった自分が現実にいることが分かってしまうから。

感情の波が大きく、道端の花を見ればその美しさに涙が出て、空を見ればその青さに涙が出る。
だから誰かの小さな一言が大きく心に響く。いい言葉ならいいが、それはたいてい心を傷つける。

夫が私のために言ってくれた言葉が素直に受け取れずそれで小さなイザコザニなる。
夫にはがんになった私の気持ちは分からず、私はがん患者の家族の気持ちが分からない。
それでも、相手の立場に立ってみれば夫がどれだけ怖い思いをしていたか今になればよく分かる。

死を近いことと意識しだすといろんなことを考える。

自分がどこから来て、何をするために生まれて、どこに行くのか。

どこから来たのかはわからず、どこに行くのかもわからない。
でも、何をするために生まれてきたのかは見つける事が出来た。それを今もやっている。

がんになると1年以内に病気以外で亡くなる方が多いという。
事故や自殺で。

私も症状的には早期発見とはいかなかったが、こうして8年再発しないで生きている。

だから未来を悲観しないで生きてみてほしい。

がんになってどうしても死にたくないと思って何年か生きてきたが、命あるかぎり生きるということが難しいことだと今は思っている。



がん情報とインターネット

私は検査入院からそのまま手術だったので、退院してから本、インターネット、TVで情報を集めました。

癌研・県立がん病院・がん学会等のHPから、本は当時有明がんセンターの勤務医だった医師著のがんの教科書。家族ががん患者だった方の体験談。

TVはNHKでがんの特集をキャンペーンで放送していたのでよく見ていました。
がんは珍しい病気ではないので情報を集めるのには楽でした。

ただインターネットは玉石混淆。
明らかに書籍を売り込みたい為の体験談。
成分がよくわからない健康食品。それも高額。
抗がん剤で体力がない時に長時間インターネットを見るのは疲れるうえに判断力も落ちてくるので要注意だ。

HPではがんのセカンドオピニオンを良く見ていました。
現役の医師が複数集まりメールでの質問に答える。
主に抗がん剤の相談。
年齢、がんの部位、手術からの経過。
再発の方が多く抗がん剤の使い方の参考になった。

こうして調べていくと自分のがんの深刻さが解ってくる。
ステージ3b
1年半以内に再発転移処置後1年半ごろ亡くなる。
大体このような経過をたどることが多い。
TVでよく見ていた女優さんも私と同年代、部位も同じ、発見の経緯も同じだった。約3年で亡くなった。

これは大変。時間がない。
生きてるうちに、自分の不要物の処分。金融関係の処理。相続で子供に迷惑を掛けないように法的処理。
子供に遺書。
体調は良くないができることはやっておいた。

正しい情報を入手し自分でよく考え出来る限り対処する。
専門的なことは医師によく聞く。診察時間は1時間待って10分なので、質問事項を紙に書いて持っていく。

冷静になって事務的に対処すれば上記に書いたようにこんなとこだが、精神的なところはホントニ辛かった。
患者会が病院に無く、県立がんセンターは遠く2時間ぐらいかかる。

精神的に不安定な時間がしばらく続く。




補助抗がん剤療法

抗がん剤はUFTカプセル100mgを1日4カプセルとユーゼル錠25mg1日3錠。
8時間おきに、食前食後どちらも1時間あいだをを空けて空腹時に飲む。
4週間飲んで、1週間休み。

朝5時、昼1時、夜9時。

6月下旬から飲み始めて1か月は何もなかったが、2か月近くになってくると気持ち悪い。
胃のあたりがムカつく感じ。
それがだんだんと吐き気になる。

9月になりナウゼリン錠10を処方してもらう。軽い吐き気止め。
1日3回食前。

11月になり吐き気が良くならず、ダリック錠10。
1日3回食前。

1月になりさらに吐き気が強まり、カイトリル錠1mg。
1回1錠。
これは抗がん剤の吐き気止め薬。
始めのうちは吐き気が治まったが、4月になるころには効き目を実感できなくなる。

朝はまあ良い。昼になると胃のあたりに不快感がおきてくる。夜は最悪だ。薬を見るだけで吐き気が来る。
でも、食事もとらないと体力が落ちる。我慢して食べる。

薬も我慢して飲む。吐き気があっても口を押えて吐かないように耐える。
眠りに落ちるまで布団の中で吐き気に耐える。

眠るまでが辛いので入眠剤を処方してもらえば良かったと思いました。

4週間飲んで1週間休み。
4月頃から1週間休薬しても吐き気が治まらず、薬を飲み始める事が出来なくなりました。
どうしても飲めない。薬を見るだけで吐きそう。
さらに1週間休薬。それから飲み始める。

体調も肝臓の数値が悪くなってきてから倦怠感が強くなり、始めは寝ていれば良かったのですが、横になっても唸り声をあげて身もだえするような激しい倦怠感に悩まされました。

それまで倦怠感ってだるいぐらいの感覚かと思っていましたが、どうにもできない苦しさがありました。

下痢は抗がん剤の為か、手術の為か不明でしたが食後6~7回も下痢になることもありました。

あとは急な排便。
S状結腸を切除したので、便をためるところが無くなって、ストレートに急な排便が出る。
排便を我慢できない。
外食はトイレが2つ以上あるところを選び、家から買い物先もトイレがどこにあるか調べて駆け込めるようにしないと出かけられない。

このような症状はユーゼル錠を飲み終わるまで続きました。
1年で飲み終わる予定が1年6か月かかりました。

UFTカプセルはその後3年まで飲み続けました。



外科外来への通院 腫瘍マーカーとCT

手術から半年は、ひと月に1回採血をして腫瘍マーカーと抗がん剤の副作用の影響をみてもらう。
マーカーはCEAとCA19-9。

手術前→   7月→  12月
CEA   17 → 0.9→  0.6
CA19-9 2660→  67→  9.9

半年後には正常値に入りました。
その後、上昇もありましたが正常値の範囲内を出ることは今までありません。

採血は術後1年には3か月に1回、2年後から5年まで4か月に1回となりました。

またCTは上下腹部・骨盤部造影でした。
2年間は3か月に1回。
3年めは6か月に1回。
4,5年は1年に1回。

大腸がんの転移は肺と肝臓が多く、肺に影が出た時は転移を心配しましたが3か月後のCTでは消えていたことがありました。

CTはそれ自体は苦痛の無い検査でしたが、造影剤を入れるので体が内側からカアーっと熱くなる不思議な体験でした。

大腸内視鏡は術後2か月めに縫合の確認。
術後3年目、5年目に受けました。
いずれもポリープは無し。

こうしてまとめて書くと再発は無く、順調に回復していったようです。

ですが、検査のときは採血、CTともに「再発していませんように!」と心の中で必死に祈って検査を受けていました。

結果を聞きに行くたびに再発と言われたら、気が動転しないように聞かなければならないことをメモにして持ち、
泣きたいときは待合室では泣けないので何処で泣けばいいか、病院のひと気のないところを探していました。

5年間の通院はずっとこんな気持ちのままでした。

帰宅と病理結果ステージは3b

退院後帰宅してまずは体力の回復だ。

炊事洗濯掃除どれも30分と続けて働くことは出来ない。
10分動きソファーに横になる、これを繰り返し少しづつ仕事を進める。

2階に上がるのも一苦労だ。
特に坂道を下るときには膝から下が痛い。筋肉が落ちてすね辺りが特に痛い。
22日の入院でこれほど筋肉が落ちてしまうとは驚きだ。

食事は以前の量を一度に食べるのは難しい。
一日5~6回に分けて意識して食べないとスルスルと体重が減る。
退院後1週間で3キロ減ってしまった。

退院後初めての外来は2週間後だった。

病理結果を知らされる。
ステージは3b。
T3 N2 M0 中分化型腺がん

切除したリンパ20個のうち第一群に4個、第二群に1個転移あり。
深さは漿膜下層まで。
他臓器転移は無し。

うわーぎりぎりだー。という感想。
退院してからインターネットや本を買い、全く知らなかったがんの勉強をしだした。
この結果は衝撃だった。

Y医師からは補助抗がん剤療法の提案。
経口の薬か点滴。
点滴は1週間に1回2時間。
薬と点滴の効果は変わりないとのことで経口で薬を選ぶ。

ユーエフティカプセル100mgを1日4カプセルとユーゼル錠25mgを1日3錠。
これを1~2年という提案だった。
副作用は吐き気、食欲不振、口内炎、脱毛、白血球減少、肝機能低下など。

これから長い抗がん剤とのお付き合いが始まる。



その後の検査

今まで8年前の大腸がん発見から手術・入院と書いてきましたが、今回は先日行いました検査について。

検査は5年まで総合病院で受けてきましたが、今は近くのクリニックに戻りフォローアップを続けています。

健康診断に加え腹部エコー・胃カメラ・腫瘍マーカー(CEA・CA19-9)・便潜血を年1回。
今年は3年に1回大腸内視鏡を受けることになったので上記と一緒に受けてきた。

胃のポリープと大腸にもポリープがあり4~5個は採ったんでしょうか。
大腸ポリープは5年間なかったのでデキていてちょっとがっかりです。
うまく取れないものもあったようで2年以内に大腸内視鏡カメラを勧められました。

採ったポリープの病理結果は後日。

検査後の体調が今までに経験したことがないくらい悪い。

止血剤を処方され出血はしていないのですが、下痢が治まらない。
検査翌日からおかゆを食べると下痢。
絶食して整腸剤を飲んで下痢が止まり、おかゆを食べてまた下痢を繰り返し、明日で検査から1週間。

こんなに検査後苦しいとは。予想外。

体重が3キロ減りました。

8年前とはいえ、開腹手術で大腸を約30cm切除し周りのリンパ節もとったのだから、今までのようには回復しない。
加齢もしている。
体をいたわらないといけないとツクヅク感じています。

今日はホットミルクとおかゆを少しずつ食べてみようかな。

元気になったら退院後の様子を書いていきます。

流動食と退院

金曜日の昼から流動食が始まった。
ホットミルク150cc・くず抹茶・トマトジュース150cc。

入院から17日ぶりの食べ物だ。くず抹茶おいしかった。

胸に入れてる点滴は1日820キロカロリーを2パック。
このお蔭で減っていた体重も3キロ戻っていた。

夕食も卵スープ・りんごジュース・ジョアだった。

土曜日には腹水を抜くチューブを抜いてくれた。
食事はおかゆとおかずもついた。完食とはいかなかったが美味しくいただいた。

日曜日は胸の点滴ポートも抜かれた。

月曜日は抜糸だった。
腹部のきずの治りは良いようで、まだ痛みはあるが大丈夫だった。
抜糸はチクッと痛みがあった。
半分抜糸で、残りは退院日。

火曜日退院日。
朝、主治医Y医師から
「腫瘍マーカーCA19-9が手術前は2000だったのが500まで下がりました。退院後も経過を見ましょう。」
「はい」
「退院後は暫く家事はしないで無理はしないでください。」
「はい、大変お世話になり有難うございました。」

残りの抜糸後、義母が迎えに来てくれて退院。
入院以来義母は家事をすべてやったいてくれた。本当に感謝している。

病院を出るとフーッと風が吹いた。
風に吹かれるってこんなにも気持ちのいいものかと感動した。

生きて病院を出る。
生きて家に帰る。
入院した時に願ったことが叶いとてもうれしかった。

ただの検査だと思って病院に来て、がんが見つかり手術をし、やっと退院。
いやいやー大変だった。

でも本当の苦しみが始まるのは退院後だった。
身体的にも精神的にも。


硬膜外麻酔とガスが出るまで

手術が月曜日。
それから木曜日まではひたすら痛みに耐えて病棟を歩く日々だ。

硬膜外麻酔のアナペンと点滴で入れる麻酔とで寝ているときは痛みはさほどないが、水曜の夜中にアナペンが無くなった。
夕方、看護師さんにアナペンが入っている瓶を見せて
「この量で明日の朝まで大丈夫ですか?」と確認した。
「大丈夫ですよ」という美人看護師さんの言葉を信じた。

夜中、3時過ぎに目が覚める。痛い。
アナペンの瓶は空だった。

夜間は違う看護師さんで、アナペンが無くなったことをいうと
「アナペンは医師の処方箋が無いと投与できません」
「痛いです」
「点滴の痛み止めを入れましょう」

それでも痛みは治まらずさらに点滴の追加。
7時になって研修医K医師がアナペンを持って来てくれた。

瓶にアナペンを入れた瞬間、背中にスーット冷たい風が吹き抜けるような感覚があり痛みは消えていた。

木曜日にガスが出た。
これは体が順調に回復した証だ。
今日から水分500ccの許可が出る。

金曜から流動食が始まり、早く退院したいという私の希望で来週火曜日に退院予定。

痛み止めアナペンは金曜までになった。

6人部屋

新しい病室で私のベットは窓際だ。うれしい。
でも窓は10cmぐらいしか開かない。どの窓もそうだ。だから風は入ってこない。

この部屋は抗がん剤を入院でしている方。
これから手術の方、私のように手術が終わって帰って来た方。すべてがん患者だ。

私の手術はへその上2cmあたりからへそを回り込んで17cmぐらい。
黒い糸で止めてある。さすがにそれだけの手術だと術後の痛みはある。

痛み止めは背中の硬膜外麻酔と点滴麻酔。
この2つが揃っていれば我慢できる痛み。

それでもベットから体を起こして立ち上がるときは痛みで腹筋が使えないので肩に力が入り、
ひどい肩こりになって退院までシップを貼っていた。

消毒してガーゼを交換して腹巻をする。
発熱をして氷枕をする。
全て看護師さんがしてくれるなんとありがたいことか。感謝。

主治医Y医師の説明は、S状結腸癌はすべて取りきり、周りのリンパ節も広範囲に取り病理に送りました。
その結果でがんのステージが決まります。多臓器には転移は無し、膵臓も異常なし。
開腹手術だったので、出来るだけ歩いて下さい。でないと内臓が癒着して壊死します。

これは大変。歩かなくては。
退院までうろうろと外科病棟を徘徊?する日々が始まった。